卒業生ブログということで、大学での陸上生活を振り返っていこうと思います。かなり長くなった気がするので、最後に書いた言いたいことを、最初でも書いときます。
『今まで、陸上競技を通して出会ったすべての人へ、本当にありがとう。これからもよろしくお願いします。』
(入学)
高校3年生の時、なかなかベストが出せず、陸上に対して辛い思いを抱いていたため、大学では新たに他のことを始める選択肢も模索していました。しかし、陸上を続ける可能性も捨てきったわけではなかったので、フレマンのブースや体験練習などに行きました。体験練習では、初対面の筈なのに、マリさんに悪口言われたり、野口さんやはるちかさんとジョグをしている時に、当時探検部とかも良いなと思ってる自分に、「俺たちみんなで富士山登ったし、同じようなもんだよ」みたいなことを言ってもらったり、凄い優しく接してくれて、やっぱり陸上をやってる人達とは水が合うんだなぁと思い、入部を決意しました。(富士登山は、実現しませんでしたが…。)
(初関カレ)
そこから、1ヶ月経つか経たないかのうちに、いきなり、関東インカレのマイルで走ってくれないかと言われ、流れで出ることに…。メンバー候補だった大木さんが、体調不良で帰宅したりもあったけれど、自分の大学デビュー戦は、青木さん、植田さん下津さんとのマイルでした。高校時代にマネージャーの居なかった部活だったこともあり、アップから選手の事を1番に考えて果歩さんに驚きカルチャーショックを受けたのを覚えています。この関東インカレを通して、この陸上競技部でこれかは4年間やっていくのだと自覚とともに、高校時代はリレーでしか出場出来なかった関東大会に個人で出たいという目標が出来ました。
(合宿)
大学の部活は、各高校で陸上をやってきた人が多く在籍似ており、各々がそれぞれの文化や考え方を持っている環境だと思います。1年の時の合宿で、ゆさこさんに監督が開く勉強会みたいなのに誘われ、色々な話を聞き、次の日の練習で青木さんに昨日の話を噛み砕いて説明してもらい、自分の走りを見直すきっかけになりました。
(ベスト)
そこからすぐに、結果として現れました。10/6に行われた横浜市選手権で、立教大学の飯嶋さんにいい引っ張りをしてもらい、ベストを更新するとこが出来ました(これが一生のベストとなる訳ですが)。遠い所から、わざわざ横浜まで来てくれた植田さんやみささんとベストの喜びを共有することが出来ました。そこで一緒に走った飯嶋さんとも、大木さんの誘いで参加した立教大学の練習で一緒に練習することが出来ました。
(年越し)
他にも、年末には今は幻となった年越し坂ダッシュで、卒業した先輩方で、学年が被っていない村上さんや松尾さんや金野さんなどとも出会うことが出来ました。松尾さん一緒に練習していた北島さんと夜の暗い和田堀で出会ったのも、今考えれば、いきなり声をかけてかなりヤバいやつだった気がします。
(2年生)
シーズンも終わり、恒例の冬練。そんななか、冬練とともに未知の足音が近づいてきて、世界は一変しました。コロナ2019の到来です。
酷い時は、競技場がどこも空いていない状況が続き、タータン以外で走るのがあまり得意ではない自分にとってはとても辛い状況で、元来の怠惰な生活も相まって、1年で来ていたいい流れが途切れることになってしまいます。そんな中でも、高校時代の部活の先輩である橋本先輩と先輩の家で筋トレをしたり、近くの河川敷で走ったり、互いの家の近くの競技場に交互位で行ったり、周りから付き合ってるのかとからかわれる位一緒にいました。
(他校)
そんな橋本先輩が所属していた東京理科大学の練習には1年生の頃からお邪魔させて貰っていて、そこで橋本先輩以外の理科大生との関係も築いていきました。その結果、同じ神奈川県出身のよしみで県選を一緒にまわった飯田さんや、自分が身近な目標とするにはちょうどいいタイムを持ってる石井や自分では到底届かないこの関わりがなかったら全く出会わなかったであろう友田なんかとも、一緒に沢山練習出来て、自分の競技生活の大きな財産となることになりました。元々、上智と仲の良かった成蹊との合同練習に理科大を誘って規模を大きくしたりなど、関わりの連鎖を大きくしたりもしました。(この3校の合同練習続いてくれるといいな。チョロっと聞いた話、理科大はしたがってるぽかったよ。)
(同期)
そして、3年生になり幹部代になります。自分の競技を犠牲にしてまで様々な仕事をしてくれたさちこ。色々なことを相談してくれて、円滑な部の運営を行ってくれたひなこ。率先して色々な記録会を探してくれて、時に無理を聞いてくれたゆい。唯一の男子の同期で、一緒に社会科見学までした武藤。そして、なんでも美味しそうにたくさん食べるお嬢。そんな、同期に出会えてこの同期でほんとによかったと思います。
(後輩)
少しずつ、大会や記録会が再開されていくなかで、高校時代よりかは確実にいいが、1年生の頃の感じとはほぼ遠いタイムしか出せず、関東インカレの標準記録も切れない状況。高校時代の後輩で一緒に川崎の大会に出て、ギリギリで勝って、ギリギリで標準を切れなかった藤原。日体の記録会で「どうせ切れないなら、後半チャレンジしないとじゃないですか」と言われ、こんな近くにこんなアスリート思考なやつがいたとは、と驚いたよ。
関東インカレの標準を切る最後のチャンスの記録会で、200地点で叫んで応援してくれた前津や最終コーナーで応援してくれてた短女の皆様方、自分事だけど一緒に喜べて良かったなぁ。
今、結構たくさん書いていきましたが、これには収まらないくらいたくさんの人達と陸上生活を通して出会い物語があります。
(これからも)
引退してからも、青木さんと一緒にバンジージャンプを飛んだり、理科大の人達とスノボに行ったり、就職で関西の方に居るのですが村上さんから連絡が来てご飯に行くことになったりと、その物語はこれからも綴られていくものであります。
今まで、出会った全ての人達に感謝をすると共に、これからも前に進んで行くのだなと。
(まとめ)
今回の卒業ブログがどういう趣旨で書くのか分からないけど、ここに辿り着いた今年から上智大学に入った新入生へ。
上智大学の陸上競技部では、たくさんの出会いがあり、かけがえのないもの経験がその大小濃淡様々あるが、必ず出来ます。
必ずです。もし、少しでも陸上競技に興味がある人は、1歩の勇気を持って、フレマンで陸上競技部の門をノックしてみてください。
今まで、陸上競技を通して出会ったすべての人へ、本当にありがとう。これからもよろしくお願いします。
柳田亮介